実はこの二つ 彫られた年代が 違うのです。 後からご覧に入れた 傾城がしらは 戦争前、昭和17年の作。 まだ大江さんが 試行錯誤を積み重ねていた いわば修行時代。 当時の文五郎師匠が 「かしらはぼんやり彫れ、 性根はワシが入れる」 という教えを伝えた というその頃です。 きっと無我夢中で 彫り上げたこのかしら。 終戦直後から 戦災で大半が消失した 文楽人形のかしらを 殆ど一人で引き受けて 休む間もなく彫り続け、 労を惜しまず 精進を重ね、 今のこの世に 多くの名品を 残して下さった 大江さん。 かしらの番数も漸く それなりに調って、 さて、若い頃に 勢いに任せて 彫り上げたこの 傾城がしらを 見てみると、 技を極めた その目からは 気に入らない 事ばかり。 「このかしらはまずい。 彫り直します」 と彫り上がったのが 初めに ご紹介した物。 確かに後者は 今に伝わる 大江さんの顔立ち。 目元もパッチリ ふくよかで、 どこから見ても 美人です。 それに引換え 戦前の作は 目は釣り上がり 鼻筋は険しく 顎が張って、 個性的とは言えても 器量の点では 前者に 軍配。 大江さんも自信を持って 世に送り出した、 のですが、 何故か 人形遣いには 戦前作の評判が高い。 豊松清十郎 豊松清十郎にご声援を!
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