少々奇妙な顔立ちの このかしらですが 舞台に出ると 何とも言えぬ 艶が出ると云うのです。 その オーラとも 呼ぶべきものが 新しいかしらには 出て来ない。 という事で簑助師匠、 そして文雀師匠も 阿古屋、宮城野 梅が枝など傾城を 遣われる時は 必ず古いかしらを お使いでした。 大江さんも 晩年 「かしらは作るもんじゃない、 生まれるもんじゃ」 と仰っていたそうです。 今は分の悪い 新作ですが 紋十郎師匠、また先代の 清十郎師匠はこちらを 使っていらっしゃいました。 私も6年前大阪で 宮城野を勤めた時は 古いかしらで 遣ったのですが、 今かしら割を 勤める 和生さんが 「どっちにする?」 と聞いて下さったので、 今回はウチの師匠が お気に入りの こちらのかしらで (どちらかややこしくて すみません) やらせて戴きました。 豊松清十郎 豊松清十郎にご声援を!
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